

札幌市手稲区の住宅街を歩いていると、目的の建物が見えてきた。JR手稲駅から北方向へのんびり歩いて10分。医療法人稲生会(とうせいかい)だ。
中に入ると、楽しげな会話がそこかしこから聞こえてくる。小さなホールで売っていたのは手作りのドーナツ。


2025年現在、札幌で知る人ぞ知る美味しいドーナツとして知名度を上げつつある。ブランドの名前は「MUN’S DOUGHNUT(ムンズ・ドーナツ)」。
2023年設立のスタートアップ、株式会社TSUKAM(ツカム・本社:札幌市手稲区)が運営している。同社は札幌市内で訪問医療や看護、居宅介護を行う医療法人稲生会(とうせいかい)の職員として知り合った女性2人が立ち上げた会社で、ドーナツ事業のほか、映像・写真のコンテンツ制作を展開している。
ドーナツ事業は「誰も排除されない社会」の実現を目指してスタートしたのだという。どういうことなのか。
西さん:代表の浅里と一緒に写真展の企画をやったことがあったんですよね。医療的ケアが必要な子どもの日常を知ってもらう目的でチカホ(地下歩行空間)で開催しました。
たくさんの車椅子の子たちが自分の写真を見に街に来てくれて、その日、数時間だけチカホにすごい数の車椅子がいっぱい通る光景を見れたんです。
そのときに、街のカタチって本来たぶんこうあるべきだけれども、(現実は違っていて)なかなか出かけづらかったり、行きやすいお店がなかったり……街、社会が(結果的に)排除してしまっている存在がいると実感を持って気づきました。では、そんな社会を変えていくためにどういうことができるだろうかと考えたのが起業の出発点でした。
そんな経験を通じて、彼女たちが掲げた「誰も排除されない社会」の実現。いろんなひとがそれぞれに、当たり前に存在できる状態をつくろうというのだ。その一歩としてまずは「誰も排除されない店」をつくろうと挑戦を始めたのだった。
理念を実現させるためには、事業を継続させねばならない。つまり、営業的施策や積極的な販促活動を行い、認知と評判を高めて利益を上げ続け、安定的な収益構造を確立させる必要がある。
事業内容は彼女たち2人ともが大好きだったドーナツにした。ドーナツの持つポップで明るいイメージも自分たちの思いを届けるのにぴったりだと思った。
また、西さんは子どもの頃、母親が手作りのドーナツを作ってくれていた思い出があり、できたて・揚げたての美味しさをもっと広く知ってほしかったのだという。

現在は常設店舗がないため、稲生会の事務所や苗穂のレンタルスペースで曜日限定の販売をしている。場所によってオープン時間は異なるが、いずれの場所でもその日の分が売り切れ次第販売は終了となる。

ちなみにmichimichi編集部が取材に伺ったのは土曜日の昼過ぎ。11:00~16:00までの販売だったのだけれど、正午過ぎに到着した段階で半分以上がすでに売れていたほどの人気ぶり。その後もどんどん客が来店し、30分ほどで完売してしまった。
よって、私が密かに楽しみにしていたレモン味のドーナツは買うことができなかった。くやしい。
興味のある方や好みの種類を確実に購入したい場合は早めの来店が良さそうだ。

肝心の味だが、生地の風味と食感がとにかくすばらしい。私は「みるく」を購入したが、やさしい甘さとモッチモチの生地に心奪われ、あっという間に完食してしまった。人気を集めている理由がわかる。

西さん:お店を開く日は午前2時くらいから仕込みます。できるだけ作り置きせずに当日の揚げたて・できたてを召し上がってほしいからです。油の温度が均等になるように鉄鍋で揚げていて、平日だと100個、土日だと150~200個くらい用意しています。

ところで、このドーナツ店には、少しだけ変わっている点がある。障がいのあるひともないひとも別け隔てなく販売を担っているのだ。同社の理念に共感したひとたちが有償ボランティアというカタチで登録している。現在は10人ほどが交代で店番に立っているという。
ただ、このことを「少し変わっている」と私が思ったことは、社会の現状と私自身の意識改革の必要性を表しているのかもしれない。西さんと話すうちにそう考えた。
「障がいのあるなしに関わらず」という枕詞は至るところで聞く。その理念のもとに事業や活動を行い、住みよい社会をつくっていこうという志はすばらしいことと思う。
一方で、「障がいのある方が働くカフェ」「障がいのある方がつくった工芸品」などという文脈に、自分自身で勝手に必要以上のフィルターをかけてしまっていたと反省したのだ。
西さんは言う。「障がいのある方と障がいのない方と、生活圏が分かれている。交差するタイミングがあるけれど、なかなか出会わないのが今まででしたよね。『障がいのある人です』と紹介されるのではなく、自然なカタチでお店の人として“いる”というのが、当たり前の街の風景であってほしいんです」
MUN’S DOUGHNUT(ムンズ・ドーナツ)の売り場では初めて会った私に対して、多くの方が気軽に話に応じてくれた。それこそ、別け隔てなく。

西さんは「みなさんドーナツを買いに来てくださるだけでなく、いろんなお話をしてくれるんです。居心地が良いと思ってくださるのか、滞在時間が長いんです」と嬉しそうに笑った。
障害者就労のカフェやパン屋などは存在する。しかし、障がいのあるなしに関わらない、いろいろなひとが別け隔てなく、存在するような空間づくりをしているモデルは確かにまだまだ少ないのかもしれない。
「今までの枠組みなら障害者就労も難しい重い症状の方であっても、MUN’S DOUGHNUT(ムンズ・ドーナツ)で実践しているモデルなら、『空間づくり』という意味において立派に役割を果たせるんです。それは社会にとってもいいことだし、今までやれていなかったことが本当は損失です。そういう価値観が社会に浸透していくことを目指したい。お店として拠点を増やすことで札幌の中にもそういう価値観が広がっていけばいいですね」
西さんは柔和な口調で、しかしまっすぐに言う。 「障がいのある子どもたちのためだけにこの事業をしているわけではありません。自分たちが生きる社会の将来に向けた投資という気持ちでやっています。だからこそ、継続していくために儲かっていかなくてはなりません。私達がやっていることには価値があると思っています。『資本主義において価値のあるものは必ずお金になるはず!笑』と信じてやっていきたいです」

味は極上。穏やかな雰囲気の中でしあわせな時間を過ごすこともできる。
近いウチにおもしろい展開が続々ありそうな雰囲気もプンプンしている。
真摯なことばを紡ぎ出す経営者・西さんの話を聞きに行くだけでも価値がある(いや、ドーナツは買ってほしい)。
だから、まずは一度、食べてみてほしい。
私は今回味わえなかった「レモン」と「コーヒーファッション」を買いに、苗穂の販売に行くと決めている。
MUN’S DOUGHNUT(ムンズ・ドーナツ)
定期販売場所 ※最新情報は公式Instagram(https://www.instagram.com/muns_doughnut/)まで
◼︎毎週木曜日 13:00~18:00
苗穂基地(〒060-0032 札幌市中央区北2条東11丁目82−35)
◼︎第2・第4土曜日 11:00~16:00
医療法人稲生会 1F (〒006-0814 札幌市手稲区前田4条14丁目3−10)
◼︎第3土曜日 16:00~18:30
グレースコミュニティ (〒006-0832 札幌市手稲区曙2条2丁目4-15)
50個以上からは事前注文を受け付けている。
※希望日の1週間前までに要予約
※問い合わせは info@tsukam.com
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