このところ「違う」という言葉について、何人かの人と話すことがありました。
じつは、この「違う」という言葉は、コミュニケーションにおいてかなりの「クセ者」だと思っています。
「違う」という言葉、気付かぬうちに人間関係を蝕んだりしています。
(じつは「わかる」もクセ者で、両横綱かもしれません。)
「違う」は二重人格者のようです。1人の人間に相反する二つの人格が内在するように、「違う」にも相反する二つの意味が隠れています。
1人は「異なるさん」です。
この人はフラットな性格です。
みかんとりんごはちがうよね、とか、ゴジラとガメラはちがうよね、というときの「違う」ですね。
もう1人がちょっと厄介な「間違ってる君」です。
この人は無自覚に自分がふつうだと思っています。
そして、自分とちがう思いや考えに出会うと「違うよ」と言います。
本人はフラットに「ちがうよ」と言ってるつもりかもしれません。
でも、聞いている人にはべつの響きが伝わっています。
「あなた、間違っているよ」と。
なんだか話す元気がなくなります。
そういう人とは話すのを避けたくなります。
聞かれたから答えただけなのに、なんか嫌な感じ。
そんなことが続くと、ありきたりな返事でお茶を濁したり、相手が気に入りそうなことを口にして、その場をやり過ごしたりします。
二つの生き物を長いあいだ狭い空間に閉じ込めると、お互い険悪になるそうです。
いじめたり、攻撃したり、喧嘩をしたり…。
「違う」という一つの言葉に、「異なる」と「間違っている」という二つを閉じ込めている。
だから「違う」の中で何か険悪な出来事が起こっているのですね。
そんな「違う」をコミュニケーションで無邪気に使うと、「違う」が暴れ出します。
(そう、言葉は本当に暴れるのです。)
そして、使った人、使われた人に災厄をもたらします。
(いわゆる「言霊」というやつです。)
「異なる」と「間違ってる」を「違う」から解放してあげましょう。
狭い場所に無理やり閉じ込めるのはやめて、それぞれの人格を認めて、場面に合わせて登場してもらうのです。
「異なり」を確認するときには「異なる」という言葉を使う。
「間違い」を指摘するときには「間違っている」という言葉を使う。
うん、君の意見は私の意見とは「異なって」いる。
でも、それは必ずしも「間違い」ではないと思うよ。
だから、もう少しお互いの意見の「ちがい」を話そうじゃないか。
ほら、どの言葉も自分らしく響いていませんか。
「鈴と、小鳥と、それから私、みんなちがってみんないい」
(金子みすずと相田みつをは、ぜんぜんちがうと思っている)
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