A.Tが菅野祐輔さんと出会ってから、約4年になる。
2024年からスタートした「北海道で最も誰かに伝えたい100人」の運営を共にしつつ、札幌市内で開催される企業のイベントやコミュニティなど、あちこちで数え切れないほど顔を合わせてきた。
菅野さんの周りにはいつも若い世代や地域の人たちが集まっていて、間違いなく「プロジェクトの中心にいる人」のイメージ。
けれど、4年経った今でも、A.Tは菅野さんという人の本当の輪郭を掴めずにいた。
なぜなら、これだけ一緒に活動してきたにもかかわらず、彼が「自分」を主語にして熱く語る姿を、一度も見たことがなかったからだ。
「知っているつもりで、実は何も知らないのかもしれない」 そんな個人的な引っかかりを胸に、今回はいつも誰かの話を嬉しそうにしている菅野さん自身に、少しだけ主役になってもらうことにした。

「かっこいい大人になりたい」―意外なキャリアの変遷
改めて、目の前に座る彼の不思議な経歴をなぞってみる。
株式会社六花亭、農林水産省、株式会社リクルート、広告代理店を経て、現在は食品卸売を主軸に北海道の「食」を全国へ届ける株式会社FUJIに籍を置く。
歩んできた道だけを見ると、一貫性のあるキャリアを築いてきたわけではない。
「正直、食品にはまったく興味がなかったんですよ」
菅野さんはあっけらかんと笑う。
キャリアのスタートは、高校卒業後に野球部として入社した六花亭。
しかし、肩の負傷によって本格的に野球を続ける道を断念せざるを得なくなる。
その後の選択は、驚くほど周囲に流されたものだった。
親族に公務員が多く、それ以外の職業をよく知らなかったという理由から、次に選んだのは農林水産省。
しかし、ここで菅野さんの価値観を大きく変える瞬間が訪れる。
そこで働く40代、50代の大人たちの姿が、当時の菅野さんにはどうしてもつまらなく見えてしまったのだという。
一方で、当時プライベートで没頭していた音楽活動を通じて出会うレコード会社やFM局の人たちは、誰もがキラキラして見えた。
「ああいう、かっこいい大人になりたい!」
その衝動だけで、安定した国家公務員の座を捨て、リクルートへと飛び込んだ。
年功序列のない実力主義の環境。
あえて縁もゆかりもない新潟へと赴き、自らを「修行」の環境に追い込んだ。
そこで支社長賞や全国MVPを獲得し、当時まだ北海道支社には所属事業部の拠点がなかったことから、その立ち上げメンバーに選ばれ、地元である北海道へ戻ってくる。
すべては「おもしろそうな大人」を追いかける好奇心から始まった。
そして2010年、縁あって紹介されたのがFUJIだった。
現会長と出会い、仕事内容はよく分からないながらも「楽しそう」「この経営者はすごい」という直感、そして古い体質が残る食品卸業界で「新しいことをどんどんやってくれ」と言われ、その好奇心で入社を決意。
「北海道で働きたい、北海道を盛り上げたいという気持ちが根底にあった」と彼は言うが、その語り口はどこまでも淡々としている。
大袈裟な地方創生論のような熱っぽさは微塵もない。

「右腕」に徹した16年
今でこそCHRO(最高人事責任者)として組織を率いる立場だが、入社当時の社内は、リクルートの最前線を走ってきた菅野さんにとって、凄まじいギャップの連続だった。
「当時はまだ、外部の新しい情報があまり入ってこない環境でした。良くも悪くも昔ながらの、内向きの組織だったんです。打ち合わせの議事録を作る文化もなくて、その場の勢いで物事が決まっていくような、そんな時代でした」
社内にはパワーポイントもプロジェクターすらなかったという。
まるで「陸の孤島」のようだったと振り返る環境のなかで、菅野さんは北海道のメーカー開拓、東京のアンテナショップ立ち上げ、展示場の新設、海外事業の展開など、会社が次のステージへ進むための「新規事業」すべてに携わり、次々と形にしていった。
16年という歳月のなかで、彼は組織の新しい変化を常に最前線で支えてきた。
これだけの成果を上げながらも、彼自身は徹底して「黒子」に徹していた。
現会長や、前社長の「右腕」として、経営陣がやりたいことを裏ですべて具現化した。
「私は秘書みたいな立場でしたから」 彼はそう言う。
自分が表舞台に立つ必要はない、トップが輝き、会社が動くならそれでいい。
その圧倒的な当事者意識がありながら、手柄をまったく自分に引き寄せない。
普通なら少しは誇りたくなりそうな功績を、あっさりと語る姿が、妙に印象に残った。

あえて会社の活動にしない、組織の枠を外した「個人」として
A.Tが菅野さんと出会った4年前は、「札幌市100人カイギ」をはじめ、彼が急激に社外の活動を活発化させ始めた時期と完全に重なる。
さまざまなイベントに顔を出し、周囲から「どこにでもいるね」と言われるほど外部との繋がりを作っていく姿を見て、A.Tは当然、会社としての活動、つまり認知を広げるための動きなのだろうと捉えていた。
そのがむしゃらな動きの裏には、彼自身が抱えていた強い問題意識があった。
「業界的に決まった相手としかやり取りがなく、取引先が縮小して売上が下がってきている時期だった。他業界の人と会って新規開拓をしなければならない。何よりも、卸売業の会社は知名度が低く、採用活動が厳しくなっていた。とにかくFUJIの名前を売りたい、そういう一心でとにかくいろいろなところに顔を出していました」
「とにかくFUJIの名前を売りたい」―その言葉通り、彼が外で作ってきた繋がりは、すべて会社へ還元されていった。
町内会での役員活動をフックに、そこからフードロス削減の「食支援活動」の連携へと発展させたり、大学や高校との連携を次々と形にし、SNSで発信したり。
すべては会社の認知度を上げ、次世代の仲間を集めるために、彼が蒔き続けた種だった。
それではなぜ、それらの活動を「会社の正式な仕事」にしないのだろうか。
A.Tのそんな疑問に対して、菅野さんはこう語る。
「会社の活動にはしないんです。会社の活動にしてしまうと、社員も同じように動かなきゃいけない、やらなきゃいけないと思ってしまうので」
自分が「必要だ」と思って始めた活動や熱量を、組織の看板を使って社員に押し付けたくはないのだという。
公の仕事にした瞬間に、それが誰かの見えない負担や義務に変わってしまうことを警戒しているからこそ、あえて「個人でやっている」という姿勢を崩さない。
会社のための動きでありながら、あえて組織の枠組みに入れない。
そこには、組織を率いる立場としての、社員に対する細やかな配慮と明確な線引きがあった。

「育てる」のではなく、ただ「環境」をつくる
実際に採用現場では、変化が起きている。
菅野さんの社外での動きや発信を目にして、「FUJIに入りたい」と志望する若者が増えているという。
今年4月に新卒で入社した2名も、まさにその繋がりがきっかけだった。
菅野さんの後輩への接し方は独特だ。
かつて商品部にいて社外に出る機会が少なかった若手社員を、あえて社外の様々な現場や会合に同行させ、外の世界を見せることで、その視野を大きく広げさせたという。
しかし、彼自身はそれを「教育」や「育成」といった言葉で語ることを好まない。
「学生と何か一緒にやるのは、もう私ではなく20代の社員に任せているので。本当に最初の入り口だけですね。私は『なんかやろうよ』って、学校や先生と繋がったりして、最初の部分は開拓するんですけども、その後はもう任せています」
これからの組織に求める人材について聞いたときも、返ってきたのは「能力より、可愛げですね」という言葉だった。
笑顔でいられること、大人とフラットに話せること、周りから応援したくなるような「可愛げ」があること。
「能力より可愛げ」というその基準は、どこか菅野さん自身が、これまで周囲の経営者や現場から愛され、頼られてきた理由そのものを表しているように感じた。
自分を大きく見せようとせず、他人の声を訊き、その人が輝く居場所やチャンスを作る。
あとは、20代の若手に手柄も実践もすべて渡して、自分はまた黒子に戻る。
そうして開かれた環境から、今日もまた、新しい縁が生まれ続けている。

少しだけ垣間見えた菅野さんの輪郭
FUJIでの16年のキャリアも、数々の新規事業の功績も、本人はまるで他人事のようにつぶやく。
誰かに認められたいとか、自分の価値を証明したいといった気負いが、どこまでも希薄なのだ。
それでも、彼の行動は止まらない。
確かな人脈を築き、動けば必ずどこかの誰かに繋がる。
その出会いの連鎖が、彼の活動をさらに外へと広げている。
それは、自己犠牲や義務感からではない。
ただ純粋に子どものような好奇心のままで、この世界でずっと冒険し続けたい性分なのかもしれない。
若い世代に囲まれ、あちこちの現場を忙しそうに走り回る菅野さんの背中が、以前よりもずっと人間臭く「かっこいい大人」の姿として、今のA.Tの目に映る。
余談だが、彼はいつも夜になると眠くなる。
眠たい目がまるで仏様が悟りを開いたかのような顔になっていくのを見ていると、彼が「かっこいい」のは、そうした無防備な姿すらも隠さない、飾らなさがあるからなのだろう。
いつも誰かの挑戦や活躍を、まるで自分のことのように喜んでいる菅野さんに、今回はほんの少しだけ主役になってもらおうとしたが、正直に言ってそれは失敗に終わってしまったかもしれない…。
菅野さんは、内面や本音は煙に巻いて語り切らなかった気がする。
それでも、彼の輪郭をほんの「少しだけ」覗き見できてよい機会となった。
引き続き、菅野さんの動きからは目が離せない状況が続きそうだ。

#企業
「michimichi(ミチミチ)」とは
ここで見つける未知(ミチ)の道(ミチ)
なんとなくで思いついた職業、一部の名前が知られている企業、それだけで就職活動先を選んでいませんか?
「ミチミチ」は、そんな状況でせっかくの出会いを逃してしまっている求職者と企業を結び付けるWebメディアです。
あなた自身が気付いていない、適した仕事、適した職場はもっとあります。
あなたが知らない良い会社が、北海道にはたくさんあります。
あなたの可能性は、まだまだこんなものではありません。
人生は、思いがけないほうがおもしろい!
ここで新たな仕事、新たな企業、新たな未来に出会えますように。