地下鉄を降り、階段を上がったら、そこは雨だった。
少し強めの雨。雲が流れている。やがてやむだろう。少し待つことにした。
空を見上げると、揺れながら、雨つぶが落ちてくる。ぼーっと眺める。
雨宿り、そういえば昔は雨宿りをしたものだ。
見回せば、雨で足止めを食らった人たちがいる。
スマホで仕事の話をしている人、メールかLINEでメッセージを書いている人、動画を見ている人。
雨でちょっと困ったが、みなすぐにスマホで何かに取り掛かる。
惚けたように、雨を眺めている人はいない。
雨が降っているので、雨を眺める。
それを無駄な時間と感じるのか、心地よい時間と感じるのか。
人それぞれだし、状況次第だろう。
どちらを選んでも、それらしく語ることはできる。
どちらを「選ぶ」のか。それぞれの人が決めればよい。
何かを選ぶとき、私たちは「手に入れるもの、取るもの」に心を奪われる。
実際には、何か一つを選び取るとき、それ以外の全てを捨てている。
何を捨てているのか、あまり気にすることはない。
いまの自分は、選び取ってきたものの成果なのか。
あるいは、自分が捨ててきたものの結果なのか。
雨が降る。
スマホを使うことを捨て、雨を眺めるのか。
雨を眺めることを捨て、スマホを使うのか。
私という現象は、捨てたものたちの欠落の姿である。
Google検索はとても便利だ。
わからないことがあれば、すぐに調べられる。
手間もかからず、楽に情報が手に入る。便利だ。
その分、わからないでいる時間が減った。
立ち止まり、自分の中を少し覗き込む。あるいは少し想像する。
その上、ものごとを覚えようとしなくなった。
調べるのが面倒な時代には、人々は覚えたのものだ。
知り合いの電話番号、英単語の意味、雨ニモマケズ…とか。
昔の人に記憶力があったとか、努力家だったというわけではない。
覚えてしまうほうが楽だったから覚えた。
何度も調べるのが面倒だったから覚えた。
結果的に、自分の中に「記憶」が蓄積され、「覚える力」も身についた。
Googleで簡単に調べられる。
それはとても楽なことだ。そして便利だ。
Googleを「選び取る」ことで、「欲しい情報」以外にも「楽」や「便利」を手に入れている。
手に入れたその時、私たちは何を捨てているのだろうか。
「立ち止まって自分を覗き込み、思いを馳せる時間」
「手間をかけて何かを知る実感」
「覚える力、記憶や思い出」
気付かぬうちに、そういうものを「欠落」しているのかもしれない。
検索だけでない。AIも現れた。
私たちの代わりに、考えたり、作ってくれたりするそうだ。
話によれば、とても「楽」で「便利」だそうだ。
その通りなのだろう。
この先、AIを使わざるをえないし、関わらざるをえない。
ともに生きていくことになるのだろう。
ともに生きていきながら、「考えること」「作ること」を捨てていることに気づくことなく、「楽で」「便利だ」と思ってしまうかもしれない私たち。
記憶することも、考えることも、作ることもない、そんな「自分」とは、いったい何者なのだろうか。
雨が降っても、何をするでもなく、ただぼーっと雨を眺める自分は、すでにそういう欠落の現れなのだろうか。
あるいは、私の中には慈雨が満ちているのだろうか。
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