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なぜ、怒っているのだろう

なぜ、怒っているのだろうのイメージ画像 とんび

「アンガーマネジメント」
ビジネスはもちろん、日常生活でも大事ですね。

昭和の昔、怒りに任せた言動はけっこう許されていました。
学校の先生などは、日常的に生徒を「怒って」いた。
怒鳴るのは当たり前、平手打ちなどもしょっちゅう。
自分が正しく、指導しているつもりだったのでしょう。
家庭内や組織内でも似たようなこと、あったと思います。

令和の今、怒りに任せた言動はダメでしょうね。
相手のためを思い、指導するつもりがあったとしても。
隠れた思いなど伝わらないでしょう。
たんなる粗暴な言動として、忌避されるでしょう。

感性は豊かに、でも、感情的にならない。
不正には敏感だが、感情的な怒りに陥らない。
求められるハードルが高くなっているようです。

「怒り」と言えば、動物も「怒る」そうです。
どんな時かというと、テリトリーを侵されたときです。
生存圏を侵す相手に、動物は「怒り」で立ち向かいます。
自分の生き死にに関わることですからね。
当然の行動として受け取れます。
アンガーマネジメントなど範疇外ですね。

余談ですが、今年話題になった人間界に出没するクマ、
これは山でテリトリーを確立できないクマだそうです。
(探検家の角幡さんがラジオで言っていました。)
そんなクマなら、精神的にも荒れていそうですね。

話を戻します。人間の「怒り」です。
人間もテリトリーを侵された時に「怒る」そうです。
(ある脳科学者が言っていました。)

誰かが無断で自分の家に入ってきたら「怒り」を感じますね。
公共の場でも、見えない境界ラインを越えてくると嫌ですね。
電車で脚を広げているのも気になります。
本能的な部分では、人間と動物、あまり変わりませんね。

人間のテリトリー、物理的な空間だけじゃないそうです。
独特のテリトリーがあるそうです。
それは「ルール」です。

自分が当たり前だと思う「無自覚なルール」。
それが私たちのテリトリーなのです。
誰かが私の「ルール=テリトリー」を侵す。
その時、私たちは「怒り」を感じるのだそうです。

私たちがこの世界で生きていくには、世界が秩序だっていて、予測可能であることが必要です。
無秩序で予測不能な世界では、緊張状態が続きます。
安心して生きていくことはできません。

だから、私たちは「世界とはこういうものだ」と決めます。
それにより、秩序が保たれ、予測可能になり、安心できます。
でもそれは「私にとっての世界」で、「他者にとっての世界」もあるはずです。

ところが、私はつねに私であり、私以外にはなれません。
だから、世界はつねに、「私にとっての世界」になります。
そして、「私のルール」は「世界のルール」そのものになります。
そのようにして、私のルールは「自明なもの」となります。
「言うまでもなく、当たり前だ」ということです。

私のルールは当たり前だから、説明する必要はない。
(「説明する必要がない」ということ自体、自覚化されません。)
当たり前だから、誰もが同じルールを持っているはずだ。
(そのことも、自覚化されないでしょう。)

だからこそ、私のルールを破る他者がいた時、
私たちは「怒り」という強い感情的な反発を感じる。
秩序を破壊し、世界を予測不可能にし、安全を脅かすから。

ところで、怒っている時には、脳の「扁桃体」が活性化されているそうです。
そして、怒りに対抗できるのは、脳の「前頭前野」だそうです。
「前頭前野」は、論理的思考などを扱う脳の部位ですね。
「怒り」を感じたら、ちょっと立ち止まってみる。
前頭前野を使って、改めて問い直してみる。
「誰もが同じルールを持っているのだろうか」と。

誰もが同じルールを持っているはずなどない。
論理的に考えれば、簡単にわかることです。

昭和と令和では、ルールは同じだろうか。(時代の違い)
皇族と庶民とでは、ルールは同じだろうか。(階級の違い?)
イスラムと日本では、ルールは同じだろうか。(文化/宗教の違い)
拝金主義者と愛情重視の家庭では、ルールは同じだろうか。(価値観の違い)

重なる部分もあるでしょう。
でも、まったく同じルールは一つもないはずです。
そんなルールが異なる人々が出会うことで、
世界にさまざまな変化が起こります。
人々が出会った時、どう関係するか。

ルールを侵す者に「怒り」を感じ、相手を殲滅しようとする。
ルールに従えない者など、消えてしまえばよい。
そう思う人もいるようです。
(昨今、増えている気がします。)

あるいは、相手のルールを知ろうと試みることもできる。
思いもよらぬルールに驚き、違和感を持ちつつも、落とし所を探していく。
そんな対話を試みることもできる。

そのためには、自分のルールを明確にしなければならない。
あまりにも当たり前で、問うこともない「自分のルール」。
それはどんなルールなのか。
知ることが必要になる。

そのチャンスはどこにあるのか。
まさに「怒り」を感じた、そのときです。
怒りを感じるのは、自分のルールが侵犯されたからです。
何かがルールに触れているのです。

「いったい、何が引っ掛かっているのだろう」
「どんな出来事が、ルールに触れているのだろう」
「他の人も同じことに同じように怒りを感じるのだろうか」
「他の人はどんなルールを持っているのだろうか」
「なぜ、この出来事に怒りの感情が起こるのだろう」
「自分の中で、何が起こっているのだろう」

そのように問うてみる。
さまざまな言葉で問うてみる。
それにより、ルールが言語化され、自覚できるようになる。
言語化されれば、相手に説明することも可能になる。
そして、相手に尋ねることもできる。

そんなふうに、ルールを自覚化、言語化していると、気付かぬうちに、「前頭前野」を使っていることになる。
そう、「扁桃体」の活動がいつの間にか低下している。
その瞬間、アンガーマネージメントは始まっている。

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