誰かと何かを一緒にやろうとするなら、お互いの理解と協力が欠かせない。
共同体であれ、組織であれ、家族であれ、パートナー同士であれ。
十数年ぶりに『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』を読んだ。
河合さんのこんな言葉があった。
「昔の夫婦というのは、ただ色々なことを協力してやって、それが終わって死んでいって、それはそれで、めでたしめでたしだったんです。
今は協力だけではなくて、理解したいということになってきている。理解しようと思ったら、井戸掘りするしかしょうがないですね。」
えっ、と思った。
理解がなくても、協力ができるんだ。
無自覚に、理解と協力をセットにしていたようだ。
たしかに、倉庫で大きな荷物を運ぶ時など、お互いを深く理解する必要はない。
荷物を運ぶという目標に向かって、協力するだけで良い。
簡単な作業ならそれで済むだろう。
でも、継続的な人間関係で、協力だけというのは…。
時代が違うのだと思った。
ここでいう「昔の夫婦」は、昭和の夫婦だろう。
戦後の貧しさから豊かになってく、高度経済成長の時期の夫婦。
その時代であれば、理解など考えず、協力することが可能だった。
夫婦だけでなく、会社も似たようなものだろう。
理解など気にせず、目の前の仕事で協力する。
それで終わって、めでたし、めでたし。
昭和の時代、未来は明るかった。
昨日より今日は豊かになり、今日より明日は豊かになる。
世の中はそういう空気で満ちていた。
実際、目の前では物質的に豊かになっていった。
豊かさへの流れに乗って頑張れば、誰もが豊かになる。
そこには喜びや幸せの実感があった。
多くの人が同じ流れに乗り、豊かさを目標にする。
理解などと小難しいことを言い出して足を止めるな。
目標に向かって協力するほうが、欲しいものが手に入る。
協力していれば、めでたし、めでたし。
そんな昭和という時代。
平成に入りバブルが崩壊し、失われた30年が始まる。
明るい未来がなくなった。
今日と同じような日々がずっと続く。
いや、明日は今日よりも悪くなるかもしれない。
豊かさへの大きな流れがなくなる。
大きな流れがなくなり、明るい未来がなくなる。
希望のない場所に放り出されたように感じる。
だからといって、同じ場所には止まっていられない。
自分のことを、自分で決めねばならない。
どこに向かおうか。
何をしようか。
どのようにしようか。
誰もがそういう決断を求められる。
でも自分に何ができるのだろう。
自分がやりたいことは何だろう。
そもそも、自分とは何者なのか。
いわゆる自分探しが始まる。
自分が自分のことを理解する。
やるべきことを自分で決めて行動する。
決断力と行動力だ。
自己実現に向けて、誰もがやりたいことを自由にできる。
そう言えば、ポジティブに響く。
でも見方を変えれば、人々はバラバラになった。
それぞれが、自分の価値観を持ち、やりたい目標を持ち、自分が良いと思うやり方を持ち、行動している。
一皮剥けば、周りには理解できない他者、他者、他者。
そんな人たちが、集まり一緒に生活していく。
カップルになったり、家庭を作ったり、会社で一緒に働いたり、地域の活動をしたり、社会のルールを決めたり。
でも、人々をまとめる、豊かさへの大きな流れや、共通の目標はもうない。
人が共同で生活していくには協力が必要だ。
でも、他者との協力はそんなに簡単ではない。
わからない人に対する、不安や恐怖があるから。
だから、協力だけでなく、理解が必要となる。
相手は何をどのように感じ、考え、大切にしているのか。
そして何をやりたいと思っているのか。
理解できれば、一緒にやっていけるかもしれない。
相手を理解するためにどうすればよいのか。
「あなたの話を聞かせて」といえばよいのだろうか。
そんな簡単な話ではないだろう。
呑気に尋ねても、相手を自分の尺度で評価して終わりだ。
理解したつもりにはなれるかもしれない。
でも、あなたには私のことはわからない。
相手にそう思われてしまうだろう。
人は、自分を理解する深さでしか、相手を理解できない。
「理解しようと思ったら、井戸掘りするしかないでしょうね」
河合さんはそう言った。
(「井戸掘り」の話は『ねじまき鳥クロニクル』にある)
井戸を深く掘り、一人で降りて行き、フタを閉める。
真っ暗闇の中、井戸の底に腰をおろす。
バットを抱えて、静かに待つ。
浮かび上がってくるものたちを。
いろんな映像が浮かぶ。
さまざまな音や声が聞こえる。
匂いすら感じるかもしれない。
井戸の底に座っていながら、さまざまな時処にいる。
自分の内から湧き出るようで、外から流れ込んでくるようでもある。
それらに向き合い、深く思いを巡らせ、じっと待つ。
いろんなことが繋がってくる。
少しずつ、何かがわかってくる。
そうやって、自分を深く理解できるようになる。
その理解の深さが同時に、相手の理解の深さとなる。
人は、自分を理解する深さでしか、相手を深く理解できない。
パートナーとであれ、会社のメンバーであれ、一緒にやっていくには、協力だけでなく、理解を求められる。
簡単なことではなさそうだ。
それでも、誰かと何かを一緒にやっていこうとするなら、「井戸を掘ること」が必要なのかもしれない。
でも「井戸を掘る」のは大変なことだ。
誰にでも簡単にできることではない。
井戸を掘らずに、人々が一緒にやっていく方法もある。
生成AIをハブにして、人々がつながることだ。
誰もが生成AIに相談し、その言葉にしたがって行動する。
自ら井戸を掘るのか、生成AIを崇めるのか。
分岐点に立っているのかもしれない。

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