「やり方」が成果を左右する
「やり方」って大事ですね。
何をやるにも、それに適した「やり方」がある。
カレーを作るには、カレーの作り方。
家を建てるには、家の建て方。
パソコンを修理するには、パソコンの修理の仕方。
友人を作るには、友人の作り方。
やり方を間違えると、やっていることは良くても、失敗する。
下手をすると、周りに迷惑をかける。評価を下げる。嫌われたりする。
一生懸命、心を込めて頑張っても、ダメなものはダメ。
「やり方」を知っているって大切です。
「何をやるか」よりも「どのようにやるか」が大事。
近ごろ、仕事でもその辺りがすごく気になる。
後輩や部下の育成でも「何をやるか」ばかりを指示している。
「どのようにやるか」をきちんと教えないと勝手なやり方を見つけるだけ。
「どのように」は、結局は「技術」なんだ。
「どのように」をきちんと確立できる組織が、技術の質を担保できる。
「どのように」をきちんと伝えられる組織が、技術を継承できる。
「どのように」は、組織にとっては死活問題だと思う。
「考え方」は教わってきただろうか
「やること」が目に見えるなら、まだ何とかなる。
「どのように」を見せることができるから。
目の前でやるからよく見ておいて、そう言える。
だけど「考え」となると難しい。
「どのように」考えているかを明示できる人は少ない。
人が話しているのを、横で見ていることがよくある。
「そういう考え方もあるね」
「違う考え方をするといいよ」
そういう言葉を耳にすることがある。
「考え方」と言っているのだから、そこには「やり方」があるはず。
でも、言っている人も、聞いている人も、軽く流している。
「考え方」と言っているけど、「考えられた内容」について話している。
そもそも「考え方」を、きちんと教えてもらったことはありますか。
「考え方」には、これだけの種類があって、このケースにはこの考え方、みたいな。
「ロジカルシンキング」「クリティカルシンキング」「ラテラルシンキング」…、
いろいろあるようだけど、いま一つピンとこない。
先日、渡邊雅子著『論理的思考とは何か』を読んだ。
この本では、四種類の「考え方」を紹介していた。
四つの考え方の特徴と、それがどんな場面で有効なのかが書いてあった。
かなり役立ちそうなので、雑にまとめてみる。
四つの「考え方」を知る
どんな国家や共同体にも、四つの分野がある。
「経済」「政治」「法」「社会」。
それぞれの分野には、それぞれに適した「考え方」がある。
なぜかというと、分野ごとに「目的」があるからだ。
経済的思考――目的達成を最優先にする
「経済」の目的は、利益を上げること。
そこで求められる考え方は、目的達成のために最短のルートを辿ること。
数値で示せる具体的な目標を設定する。
目標に至る最適な手段を選び取る。
未来を起点に現在へと最短のルートを辿る。
無駄なことはすべて排除する。(それが道徳的な行為であっても…)
私たちが日々、ビジネスで見聞きする考え方だ。
しかし、目的達成のためには、すべての手段が道具的な存在となる。
今という時間も未来のための道具。
自分がやっているタスクも完成のための道具。
それを行っている自分も…。
それを実感したとき「自分がやっていることに何の意味があるのか…」と思う。
でも、それは迷いで、経済的に思考をするなら、振り切らねばならない。
心を固くして、ひたすら直線的に未来のゴールを目指す。
政治的思考――公正さを実現する
「政治」の目的は、公共の福祉を担保することだ。
国家や共同体には、人種、文化、階級、宗教、価値観など、多様な人がいる。
それらの人たちが、幸福を追求し、自分が生きる意味を探している。
多様な人たちが、公正さや平等などを最大限実感できるようにする。
それが政治的思考だ。
そこで求められるのは、あらゆる可能性を吟味することだ。
多様な意見、矛盾する考えを、意識的に洗い出す。
どちらが正しいかというゼロサムゲームは行わない。
誰もが等しく納得しつつ、等しく不満も分け合う。
公正さや平等を念頭に、物事を丁寧に進めるべくプロセスを大事にする。
時間がかかるし、手間もかかる。
嫌な相手の意見にも耳を傾け、話の通じない相手にも丁寧に説明しなければならない。
やりとりを粘り強く続ける思考が政治的思考だ。
法的思考――正しさを守る
「法」の目的は、正義を実現することにある。
その正義は、偏った価値観に基づいていたり、特定の権力に与したりするものではダメだ。
正しさの基準は客観的であり、明示されていなければならない。
誰もが受け入れられるものでなければならない。
同じ出来事を前にしたとき、誰が考えても同じ結論に至る、そんな考え方だ。
法律であったり、宗教的な聖典がそれにあたる。
法的な思考において大切なのは、法律や聖典の言葉を正確に覚えることだ。
勝手な解釈は許されず、決まっているルールを、決まった手続きで運用する。
法律が時代に合わなかったり、聖典の解釈が違ったりすることもある。
とはいえ、それらを変えるときにも、厳格なルールに基づいて行う。
誰もが同じ出来事を同じように正しく受け取れるようにする。
このような考え方が法的なものだ。
社会的思考――共感を育む
「社会」の目的は、共同体の維持そのものと言える。
そこでは、共同体のメンバーが「共感できるか否か」が大きな問題となる。
個々のメンバーには、善意に基づく行動が求められる。
親切や慈悲、譲り合いなど、他人の気持ちを察すること。
場面ごとに適切な行動を取るための思考が求められる。
周りをよく見て同じように行動する、周りから求められている行動をする。
相手の考えを推し量るよりも、気持ちを忖度する。
共同体のメンバーは、時間とともに感じ方、考え方、行動がそろってくる。
考えや行動の「正しさ」は、必ずしも最重要ではない。
共同体のメンバーが「それで良い」と共感することが重要だ。
前例主義により、経済的に不合理なことが行われることもある。
根回しをするなど、異なる意見が表面化しないように努める。
法律を決め、ルールを導入しても、いつの間にか全員がそれを意識しなくなる。
その一方、共同体のメンバーとしての実感を持てれば安心していられる。
自分の感じていること、考えていることは、他のメンバーと同じである。
相手を気にかけ、相手に気をかけられれば、孤独を感じることも少ない。
そういうものが社会的思考である。
四つの思考法は、それぞれ役割が違う
長くなったので、ちょっとまとめる。
どんな国家や共同体にも、経済、政治、法、社会という領域がある。
そして、それぞれに適した「考え方」がある。
経済のことを考える時には、目的・手段関係で合理的に最短のルートを辿る。
政治のことを考える時には、できる限り多様な意見を考慮し、公平さを担保する。
法のことを考える時には、客観的な基準に照らして、正しさが平等に実践されるようにする。
社会のことを考える時には、メンバーが共感を通して、良好な関係を保てるようにする。
ある領域に、別の領域に適した考え方を用いるのは、あまり適切ではない。
政治的な出来事を、経済的な思考で運営すれば、異なる意見は切って捨てられ、社会の分断が進む。
法を実行する場面で、共同体メンバーの共感が優先されれば、正しさよりも、その場の空気が優先されるだろう。
経済は経済的思考、政治は政治的思考、法は法的思考、社会は社会的思考。
それぞれに合わせた「やり方」がある。
しかし同書によれば、どの思考を中心にするかは、国によって異なる。
アメリカは、経済的思考。
フランスは、政治的思考。
イランは、法的思考。
日本は、社会的思考。
面白いのは、どの国も自身が中心とする思考法で、他の領域も考えがちであることだ。
(どの国も「作文教育」を通して、思考法を身に付けさせるそうだ。)
日本は今、思考法の転換期にある
アメリカは、目的/手段関係で最短でゴールを目指す思考法を、経済以外の領域にも当てはめがちである。
たとえば、トランプ大統領は、政治に「ディール」という言葉を持ち込んだ。
「ディール」は経済的な思考で使われる言葉で、本来、政治には馴染まない。
そのせいか、アメリカは国内的にも分断が激しくなり、国際関係でも様々なコンフリクトが生じている。
日本について考えてみる。
日本人にとっては長らく「社会的な思考」が当たり前のものだった。
何よりも共同体がうまくいくことが大事だった。
江戸時代以降、流動性が低い社会だったこと、
村単位での水稲栽培(水の管理)が不可欠だったこと、
そういう背景もあるのだろう。
共同体が揉めれば、個々のメンバーの生活が危うくなる。
それを避けるためには、皆が同じように感じ、考え、行動することが求められる。
正しいことを言い、行えば、全員が一致するとは限らない。
全員が一致することが、正しさなのだ。
そういう伝統が、バブルの崩壊(冷戦構造の崩壊)の頃から崩れ出した。
そこに入ってきたのが、経済的な思考だ。
敗戦後、アメリカの強い影響下に置かれたこと。
冷戦崩壊後、日本の経済力が落ちたこと。
アメリカ主導のグローバリゼーションが世界を覆ったこと。
あらゆる物事を目的/手段関係でとらえ、ゴールに向かって最短ルートを辿る。
そういう経済的な思考が、すごい勢いで日本に入ってきた。
もともと、共同体メンバーとの共感が当たり前だった思考法から、
目的/手段関係で無駄なものを切り捨てる思考法へと変わっていく。
この数十年、日本は移行期なのだろう。
誰もが、共感的な思考と、無駄を切り捨てる思考の折り合いをつけようとしている。
人によって、折り合いの付け方は異なるだろう。
共感的思考を捨て、合理的・経済的思考を内面化し、成功を収める人もいるだろう。
経済的思考に馴染めず、自分の価値を見出せず、メンタルを病む人もいるだろう。
不安に駆られ、タイパ、コスパを意識し、がむしゃらに頑張っている人もいるだろう。
いずれにせよ、社会的思考と経済的思考のバランスに苦労している。
「考え方」を身につけるということ
その苦労は、社会的思考と経済的思考の二つしか見ていないからかもしれない。
残りの二つの思考、政治的思考と法的思考も視野に入れてみよう。
政治的思考とは、様々なメンバーの間での公平性を重視し、異なる意見を排除せず、対話的に共存を目指すものである。
共感を求め異論を排するような、社会的思考とは異なるアプローチがあるはずだ。
法的思考とは、誰にでも平等に当てはまる正しさを求めるものだ。
ルールや基準が明確になり、誰であれ同じプロセスが適用される。
目的のためには手段を選ばない、というようなやり方を許さない。
日本では長らく、他人の気持ちを思いやり、明確なルールを作らなくても、社会が維持できるという状態が続いてきた。
しかし現在、それだけではやっていけなくなっている。
目的/手段関係で、合理的にゴールを最短で目指す、無駄を排する経済的思考。
異なる意見を対話的に取りまとめ、時間をかけて皆にとっての公正さを目指す政治的思考。
明確なルールのもと、誰でも等しく正しさが実現される法的思考。
四つの思考を身につけ、場面に応じて使い分けること。
それが「考え方」を身につけることになるのだろう。
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