『強いビジネスパーソンを目指して鬱になった僕の 弱さ考』という本を読んだ。

著者は井上慎平さん、NewsPicksパブリッシングの創刊編集長をしていた人だ。
肩書からも仕事のできる人だとわかる。
知識があり、頭の回転も早く、行動力もある人に違いない。
そんな人がビジネスで鬱になり、その後いろいろ考えた本だ。
もっと成長をしよう、生産性をあげよう、組織に貢献しよう。
そう思いながら、日々、働いている人はたくさんいるはずだ。
知らず知らずのうちに、強いビジネスパーソンを目指している。
いや、目指さざるを得ない。
誰もがそんな世界を生きている。
頑張り過ぎて倒れてしまわないよう、うまく頑張れるよう、
この本の一部を紹介してみたい。
いろんなことが参考になる、とても良い本だと思う。
冒頭の方にこんなことが書かれている。
『経済の論理が求める「強いビジネスパーソン像」と「日本文化の中で生まれやすい人間像」のあいだにはズレがあるんじゃないか。』
「強いビジネスパーソン」と「ふつうの日本人」にはちょっとズレがあるようだ。
言い換えると、「ふつうの日本人」が「強いビジネスパーソン」を目指すのは、少し無理がある。
結論を先取りすれば、「強いビジネスパーソン」は、アメリカの教育が作り出す「アメリカ人」の姿である。
その姿は、日本の教育が作り出す「日本人」の姿とは別物である。
日本とアメリカの「教育システム」の違いについて、『論理的思考の文化的基盤』(渡邉雅子著)という本を使い説明している。
アメリカと日本の教育原理の違い。
アメリカの教育は「経済性原理」だ。
ものごとを比較検討し、最も速く確実な手段を選択し、目的を達成することを重視する。
日本の教育は「社会性原理」だ。
社会秩序を成り立たせる道徳心を、他者との共感を通じて養うことを大切にする。
日本の教育にも経済性原理がないわけではない。
とはいえ、小中学校の制服、髪型、持ち物ルール、校則などを考えれば、教育の根幹に社会性原理があることは確かなようだ。
『弱さ考』では、日本とアメリカの国語と歴史の教育から、両者の違いを説明する。
(ちなみに『論理的思考…』では、フランス、イランも加えた四カ国の比較になっているそうだ。)
ここでは、国語の思考表現スタイルについて紹介する。
日本の「感想文」と、アメリカの「エッセイ」の違いについてだ。
日本の「感想文」の特徴。
・感想文を書きなさい、という目的が不明確で曖昧な指示により書かさせる。
・共感、驚き、感情などの気持ちの表現を求められる。
・読書という体験により、自分がどう変化したかを書く。
・内容がきちんと読み手に伝わることが求められる。
・感想文を互いに読み合い、感想を言い合うことで、共感のすり合わせを行う。
まず本を読み、それから感じたことを書く。
過去から未来への時系列的な作業である。
また、本を読んで感じたことを書くという、受動的な作業である。
考えよりも、気持ちの表現が重視されている。
みんなが感想を言い合い、感情や気持ちをすり合わせることを求める。
共感を通して、規範の内面化を行う。
自分の意見を押し通すより、他人の立場から考えることを重視する。
まさに「道徳心を、他者との共感を通じて養う」ことを重視している。
日本の教育の社会性原理をよく表している。
アメリカの「エッセイ」の特徴。
・まず叩き込まれるのは「結論ファースト」のライティングスタイル。
・読み手が、最小限の労力で、最大の理解を得られる文章を書く。
・最初に結論、次に結論を支える論拠。重要なものから書き、余分な情報は切り捨てる。
・小学校一年生から「オピニオン・ピース」の訓練。
「私はこう考える、なぜならば…」という「主張→論拠」を繰り返す。
・三年生から「オピニオンチャート」の訓練。
エッセイを書く前に、必ず「主張」「論拠」「具体例」を一覧にする。
全体構成を明確にし、最短で書き進める設計図を作る。
・まずアウトプットイメージを手書きし、全体構成と必要要素を明確にしてから作り始める。プレゼン資料の作り方と同じである。
未来から現在へと向かう、目的/手段関係という強い枠組み。
明確な目的の設定。最短でゴールに向かう、能動的な作業である。
経験による感情や気持ちより、自分の主張を重視する。
主張を最短のルートで相手に伝える方法を組み立てる。
何よりも「主張を持つこと」、方向性のない闇雲な努力はしない。
計算の上、比較衡量して最短でゴールに向かう効率性へのこだわり。
これは、ビジネスの原理そのものである。
アメリカの教育は「経済性原理」なのだ。
どちらが「正しい/間違っている」という問題ではないのだろう。
それぞれ長い歴史の中で、そのような人が求められるようになった。
しかし、ビジネスで求められるのは、アメリカの教育が目指す人材に近い。
アメリカが強国で、グローバル経済のルールを作る側だからだろう。
ふつうの日本人は、苦手なゲームで頑張っているのかもしれない。
同書の別の場所では、アメリカ的なスタイルを「強い個人」、日本的なスタイルを「弱い個人」として、次のように整理する。
「強い個人」
・自己認識 いつでも、どこでも、誰とでも「変わらない私」
・重要要素 「経済性」(≠生産性)
・世界観 「みずから~する」(能動的)
「弱い個人」
・自己認識 いま・どこ・誰との組み合わせによって「変わる私」
・重要要素 「社会性」(≠周囲との人間関係)
・世界観 「おのずから~なる」(受動的)
「強い個人」は、周囲の状況に影響を受けない。
目的や目標をしっかり持ち、それに向かって無駄なく最短で向かっていく。
自分の思いや意見はハッキリと言い、自ら主体的に行動する。
たしかにビジネスではこういう人物が求められている。
「弱い個人」は、環境や周囲の状況に合わせて、自分の行動を調節する。
強く自分を主張せず、周りの人とぶつからないように、協調する姿勢を大切にする。
既存のルールや権力なども素直に受け入れる。
そんな姿を「弱い個人」としている。
しかしそういう人が、それほど悪いとは思えない。
ビジネス的な視点では、アメリカ的な「強い個人」が求められている。
どんな状況でも安定してパフォーマンスを発揮する人。
つねに目的/手段関係を意識して、合理的に利益を追求する人。
指示待ちでなく、自ら主体的に行動する人。
そういう人材がビジネスでは求められる。
そこに向かうことが、成長として推奨される。
その一方、日本的な「弱い個人」も求められている。
組織や他のメンバーに迷惑をかけないように気遣いをする人。
自分勝手に物事を進めないよう、つねに報連相を心がける人。
何よりも組織や会社、自分よりも大きなものに貢献しようとする人。
明確なルールや法律よりも、状況や空気を重んずる人。
場に合わせ振る舞えることが、周囲から認められる(承認される)ことになる。
日本のビジネスパーソンは「強い個人」と「弱い個人」の両方を求められているのではないか?
ここからは本からは離れた、個人的な想像になる。
いまの私たちのキツさは、両方を求められていることではないか。
「強さ」と「弱さ」という一見、相反する二つのものを同時に求められる。
どの場面で、どちらが有効か、それは事前には明示されない。
多くの場合、事後的に評価される。
「強い個人」でうまく行かないときには、「弱い個人」ができていないと言われる。
「弱い個人」でうまく行かないときには、「強い個人」ができていないと言われる。
どちらをやっても、うまく行かないような気がする。
どちらをやっていても、安心できない。
ある種のダブルバインド状態に陥っているのではないか。
そうだとするれば、とても疲弊する日々となるだろう。
「時間ができると、『何か役に立つことに使わなければ」と考えてしまい、しんどいです」
ドキッとする言葉だ。
この本の他の部分で出てくる、とても印象的な言葉。
ドキッとしたなら、あなたも気付かぬうちに無理をしてるかもしれない。
いつの間にか「強いビジネスパーソン」を目指すゲームを内面化しているかもしれない。
簡単には降りられない長いゲームだ。
だからこそ、自分なりの参加の仕方、戦い方を考える必要があるかもしれない。
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